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洛陽白草坡遺跡、後漢の桓帝陵とほぼ確定 出土器物の紀年銘から

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白草坡後漢陵園から出土した器物に記されていた「光和三年造」の文字(2020年12月9日撮影)。(c)Xinhua News
【1月4日 Xinhua News】中国河南省(Henan)洛陽市(Luoyang)にある白草坡後漢陵園遺跡の発掘調査でこのほど、「光和三年造」の紀年銘のある円形の石製器物が出土し、遺跡が後漢桓帝を埋葬した宣陵であることが判明した。光和3年は西暦180年にあたる。今回の発見は、後漢皇帝陵の配置を一層明確にし、同王朝の陵寝制度を解明する上で重要な意味を持つという。
 発掘作業を指揮した洛陽市文物考古研究院の王咸秋(Wang Xianqiu)副研究員によると、文献に基づけば、洛陽の南東で洛陽城に最も近い後漢の皇帝陵は桓帝の宣陵であり、白草坡後漢陵園はこの条件に合致するが、これまでそれを裏付ける有力な証拠がなかったという。
王氏は「出土した円形の石製器物は、この推論の有力な証拠となる」と指摘。「光和」は桓帝の次の霊帝時代の年号だが、霊帝の文陵は邙山(ぼうざん)陵区と確定していることから、石製器物は霊帝が先代の桓帝のために陵園を造営した際に作られた可能性が高いとの見方を示し、文献に基づけば白草坡後漢陵園が宣陵だとほぼ確定できると述べた。
 遺跡は同市伊浜区龐村鎮白草坡村の北東にある。ここ数年は、屋敷や住居跡、中庭、回廊、井戸、道路、排水溝などの遺構が相次いで出土しており、陵園の全体配置の解明が進んでいた。
 今回の発見で、後漢皇帝陵の全体配置が特定された。後漢には12の皇帝陵があり、うち最後の皇帝、献帝の禅陵を除く11陵は、全て当時都が置かれた洛陽にある。(c)Xinhua News/AFPBB News