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陝西省で初めて大型の戎人墓地を発見

陝西省で初めて大型の戎人墓地を発見

   【新華社延安9月20日陝西省の考古専門家は先ごろ、同省黄陵県のある建設現場で、同省で初めての大型の戎人墓地を発見した。この発見は西戎の文化や移動などの研究に重要な手がかりを提供するもの。

   延安の南門溝ダムの建設に合わせ、陝西省考古研究院は南門溝ダム考古隊を組織し、今年4月からダム湖地区で考古発掘と文化財保護を開始した。これまでに戦国時代の墓を100基あまり発見し、うち80基の発掘を終えている。墓群からは青銅器、土器、玉石器、骨器、鉄器などの重要な遺物が多数出土した。今回の発掘は、陝西省の考古部門が北部地区で初めて実施した大規模な戦国墓の発掘。

   発掘を指揮した陝西考古研究院の邵晶氏は次のように述べた。これらの墓の発見は、陝西省北部の文化構造の研究にとって重要な意味を持っている。出土した土器や青銅器は大きく二つに分類することができる。一つは戎狄系統で、もう一つは中原系統だ。戎狄系統は現在の四瓦文化との関係が指摘されており、中原系統の土器は三晋地区(戦国時代の韓、魏、趙)と密接な関係があるとみられている。

   邵晶氏は「特にこれらの銅戈、銅剣などの兵器は、魏国と密接な関係がある。そのため、この墓は戦国時代中期から晩期のもので、北西地区から来た戎人系統のものであるとわれわれは考えている。文献に記載されている晋国の南西部で生活していた戦国時代の戎人の墓地である可能性が高い」と述べた。

   発掘現場を視察した陝西省考古研究院の張天恩研究員は、これまで陝西地区は秦国の版図だと考えられていたが、この大型墓地の発見によって、この認識は覆る可能性があると述べた。

   陝西省北部は黄河が「几」の字型に湾曲しているところで、殷周時代には北西地区の少数民族である鬼方が居住していた。では、ほかの民族はいなかったのか。これまでずっと確認することができなかった。張天恩研究員は「この墓地の発見によって、この問題は解決された。これまでに出土した200点あまりの土器のうちの大部分は甘粛の寺ワ(江の工を圭に)文化で流行したものと同じものだ。寺ワ文化は殷代から春秋時代まで続き、その後は徐々に衰退し、最終的にはどこへ行ったかわからなかった。この墓地の発見は、少なくとも一つの手がかりを提供するもので、一部の人々は寺ワ文化の西戎人で、陝西省北部と関中の境界地区に入り込んでいたことがわかった」と述べた。

   文献には、秦穆公の時期に、西部に遠征し、「12の国を滅ぼし、千里の土地を手に入れ」、多くの戎人の土地を占領したと記載されている。また晋襄公はコウ(山+肴)の戦いで秦穆公を打ち破ったが、これは晋と西戎の双方が協力した結果だった。

   張天恩研究員は「これらの人々は、民族的に言えば西戎の寺ワ文化に源を発しており、姓氏は姜姓だった可能性がある。その後は晋国に投じ、魏国に帰属した。墓地の年代は戦国中期から戦国晩期にあたる。文化的には、彩色された鬲(レキ、脚つきの蒸し器)などの西戎文化に加え、ふたつきの豆(高杯、脚のついた台)や中央部が太い戈など多くの晋の文化も取り入れている。この墓は、陝西省北部高原地帯の歴史を再現し、人々に多彩な歴史の情景を見せてくれた」と述べた。