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司馬遷の祠堂と墓を訪ねて 陝西省韓城市

【6月20日 Xinhua News】中国陝西省(Shaanxi)韓城市(%Hancheng)から南に10キロ離れた芝川鎮(Zhichuan)南東部の小高い丘に、前漢時代の歴史家で「史記」の著者、司馬遷(Sima Qian)の祠堂(しどう)と墓がある。黄河の古い渡し場に面していて、周囲にはどこまでも続く農地が広がる。最も古い祠堂と墓は、晋代の漢陽太守・殷済(Yin Ji)が建立。以来、香火が絶えることはなく、1700年の時を重ねてきた。現存する寝宮と献殿は、北宋年間に修復または新築され、清代初期には大規模に拡張された。
 参詣は司馬古道から始まる。長さは300メートル余りで、韓城市誌によると、建設されたのは春秋時代。芝川河谷と韓原を結ぶ斜面にあることから「韓奕坡(かんえきは)」とも呼ばれた。司馬遷の祠堂と墓が建設されると、地元の人々から司馬坡、司馬古道と呼ばれるようになった。
 木牌坊をくぐり、朝神道を進むと99段の石段がある。石段は清の康熙年間に韓城県令だった翟世琪(Zhai Shiqi)と地元住民が財貨を寄付し、数年かけて完成させたという。
 献殿には、北宋宣和7(1125)年に彫られた司馬遷の塑像がある。赤い袍と玉帯を身に着け、頭を高く上げて北を向いている。寝殿の奥には司馬遷の墓があり、塚の上に樹齢千年のコノテガシワの古木が立つ。幹は根本で五つに分かれ、枝先は遠く黄河に向かって広がる。塚は円形でドーム型の天井を持ち、壁面には八卦(はっけ)が刻まれたれんがが埋め込まれている。「史記」をたたえる言葉「究天人之際、通古今之変(天人の際を究め、古今の変に通じる)」を意味するという。
 司馬遷がいつ、どこで、どのように死んだのかは、はっきりしていない。中国の史書にも3千年余りにわたる中国文明の歴史を記した「史聖」司馬遷の結末に関する記載はないが、司馬遷と「史記」は中国文明5千年の悠久の歴史の中で、不朽の名をとどめている。(c)Xinhua News/AFPBB News